ひみつノート

とりとめのないただの日記です。

バレンタインの思い出

2月にはバレンタインがありましたね。日々があっという間に過ぎていきます。

 

 

何がきっかけか分からないけれど、ふと保育園の時のバレンタインを思い出していた。

私の通っていた保育園でもバレンタインイベントはあった。おゆうぎ室のような広い部屋に、男の子達が1列に並ばされ、チョコレートをあげたい男の子の前に女の子たちが並ぶ、というものだった。

 

私は好きな男の子がいたのに、その子にチョコレートを渡してしまうとその子を好きな事がバレるので、わざと違う男の子の列に並んだように思う。4歳でそこまで考えてしまっているのだから子供って侮れない。自分がどの男の子にあげた、などというイメージをつけたくなかったので、一番人気の男の子の所に並んだ気がする。みんなと一緒にしておけば、大勢の中に紛れられるから。

 

そもそも、男の子を1列に並ばせて女の子に選ばせるなんて、なんて残酷なことをするのだろうと思う。あれはまだギリギリ昭和だったのだろうか。昭和ってすごいのだ。選ばれなくて泣いていた男の子もいた。当たり前だ。それまでめちゃくちゃバレンタインに浮かれて、強がっていた男の子が誰にも選ばれなくて泣いていた。そりゃ泣くよなと今思い出しても思う。それをバネにして強く生きてくれとしか言えない。

 

それだけでなく、ホワイトデーにも同様のイベントがあった。今度は女の子が1列に並び、男の子がチョコレートをあげたい女の子の前に並ぶというものだった。私の前にもありがたいことに2人ぐらい並んでくれた子がいた。誰というのはうろ覚えだったけれども、家が近所の子達だった気がする。彼らも、本当に私のことが好きだったのかもしれないし、ただ家が近所だったからくれたのかもしれない。

誰だったかはさすがに忘れたけれど、女の子の方も男の子が行列になって並んでいる子はもちろんいた。思えば私の人生はそこからもずっとそんな感じだ。学級委員を決める投票などでも、毎年2票ぐらい誰かが入れてくれる。大量の票が入るほど人気者でもないし、0票というほど人気がないわけでもない。誰かが入れてくれているその2票のことは、ずっと、ありがたいなあ。と思ってきた。人数が少なくても、認めてくれている人がいるということはありがたい。

 

 

ところでこのバレンタインのイベント話で何が言いたいかというと、小さい頃こういうイベントでチョコレートをもらえなかったからといって気にすることなんてない。ということなのです。

 

他の子はどうだか知らないけれど、私は4歳そこそこでもう自尊心がバリバリ育っており、自分の好きな男の子が人にバレたら嫌だ!と考えるような可愛げのない子供だったのだ。そんな公衆の面前で自分の好きな男の子にチョコレートなんてあげられるわけない。もちろんそれができる子達もいたし、保育園のお庭で整列している時、好きあっている男女が目を合わせて笑いあっているところを目撃したこともある。堂々としたものだ。

 

でもそんな子達は絶対に一部で、いくら小さい子供だからって好きな子がどうとか冷やかされたくない子だってたくさんいたはずだ。もっとほかの理由でも、全員が全員きちんと好きな子にあげているなんてことはおそらく無いと思う。そこでチョコレートをもらえなかったからといって、自分の価値が下がるなんてことは絶対にないのだ。なので、子供の頃バレンタインで嫌な思い出があったからといって、それはそれとして気にせず前向きに生きて欲しいな、というのを、2022年のバレンタインに思ったのだった。