ひみつノート

とりとめのないただの日記です。

神頼み

1日通して、今日はあまりうまく流れなかったな。という日はちょくちょくある。

そういう日は、もう何もせずに寝てしまおう!と思うか、寝るまでの間に少しでも悪あがきをするか、どうするか迷う。迷っている時点であまりやる気がないのだ。本当にやる気があるのなら、ごちゃごちゃ考えずに動いているはずだ。

 

先日、久しぶりに神社に行った。私はけっこうゲンを担いでしまうほうなので、大きな仕事の前などは必ず神社に行って決意表明をして絵馬を書いていた。この「決意表明」というのは、ジョージ朝倉先生の「溺れるナイフ」というマンガの影響で、コウちゃんという神がかった魅力を持つ男の子が、「祈願なんぞ自分にするんじゃ。神様には見ててもらうんじゃあ。」と言っていて、なるほど。と思い、それ以来神社では何かに対して決意を表明したあと、「頑張りますのでよろしくお願いします。」と心の中でつぶやいて終わりにしていた。

仕事が変わって祈願するほどの大きなイベントがなくなったため、しばらく神社には来ていなかった。けれど最近の世の中の流れだとか、周囲の人がワクチンを打つのでその副反応は大丈夫かなとか、考え出したら不安が止まらなくなってしまったので満を持して神社に行ってきた。

 

行ってどうなるということではなく、結局もう自分の気持ちの問題なのだ。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉の通り、自分にできることを頑張って、あとできることといえば天に祈るしかない。あの時こうしておけばよかった。という後悔をするのが本当に嫌で、神頼みでもなんでもできることは全てやりたいという気持ちである。

スピリチュアル的な考え方で、全ては無意識で考えている通りになるというものがあるけれど、その理屈で言うと、コロナ禍がなかなか終わらないのは我々皆がコロナが終わらないでいて欲しいと心の底で思っているからということになるのか?そんなはずはない。そんな風に思っているはずない。

 

けれど、今回のことに関しては私のがんばりでどうこうなるものではないので、神様お願いしますという拝み方になってしまった。結局、みんな元気でいてくれますようにということになる。

その後おみくじを引いたら小吉だった。今はあまり物事が動く時期ではないそうだ。

占いなども私はすごく気にしてしまうタイプで、気にするならおみくじなんか引かなければいいのに引いてしまうし占いも見てしまう。

早くコロナ禍が終わってみんなが元気でいてくれますように。