ひみつノート

とりとめのないただの日記です。

週刊少年ジャンプの思い出

子どものころ、実家で「ジャンプ」や「りぼん」などの漫画雑誌を禁止されており、どんなに頼んでも絶対に買ってもらえなかった。

禁止の理由は「毎週、毎月買ううちにどんどん溜まっていってゴミになるのが大変」だからというもの。

1回だけでいいから買って欲しいと何度も頼んだけれど、「1回買ったらその次も、またその次も買わないといけなくなるからだめ」と言われた。

けれども決してそんなことはなかったのだ。誰かに何かの拍子に「なかよし」を1度だけもらったことがあって(「タカマガハラ」の1話目が載っていた号だった。セーラームーンもまだ連載していた)、その1冊を何年もにわたり、数え切れないほど何回も読んだ。1冊あったらこんなにずっと楽しめるんだから、たまに買ってくれればいいのに、と思っていた。

 

とにかく私は小さい頃からマンガが好きだったので、自分でもこつこつ集めたりしながら、親が何気なく家においていた「美味しんぼ」や手塚治虫作品(マグマ大使とかワンダースリーとかドンドラキュラ、ブッダアドルフに告ぐ など他多数)を読み漁っていた。

 

ある時、今思い出しても謎なのだが、父が週刊少年ジャンプを4冊か5冊拾ってきたことがあった。「捨てられていたけど、とてもきれいだったから」という理由で拾ってきたらしかった。当時聞いたときも「?」と思ったが、今考えてもトンチキな行動だと思う。普通きれいでも拾わない。

が、その拾ってこられた5冊のジャンプを、私たちきょうだいは延々と読んだ。本当に何回も読んだので、それぞれの作品のどのあたりが掲載されていたかもけっこう覚えているもので、

スラムダンク」は流川が片目を怪我して、両目をつむって感覚だけでフリースローを入れたあたり、

るろうに剣心」は由太郎編のあたり、

ドラゴンボール」は魔人ブウと悟空が戦っているあたり、

マキバオー」は、マキバオーの心臓が大きくて本来なら走れる体じゃないという深刻なあたり、

「BOY」はなんかこわい人がドラッグのカプセルを大量に飲むあたりだった。

マインドアサシンは絵がオシャレ!と思ったし、逆にジョジョは当時絵が怖すぎてページをめくれなかった。ジョジョのところだけ見ないようにとばしていた(今ではジョジョめっちゃ読んでいます)。ジャングルの王者ターちゃんも載っていたし、ラッキーマンも、キャプテン翼も載っていた。

 

この話を書こうと思って改めて調べたらおそらくこれは1995年の出来事だった。

そして、調べて分かったずっと勘違いしていたことがあるんだけど、巻末に載っていたシュールな4ページぐらいのマンガをずっと私はうすた京介先生の初期作品だと思っていたら、なにわ小吉先生という方の、「王様はロバ」というマンガだったのだ。

他愛もないことかもしれないけれど、ずっとうすた京介先生の初期作品だと思い続けて人生が終わるよりもちゃんと分かって良かったと強く思っている。

 

そんな風に、漫画雑誌禁止だった我が家に夢と希望をもたらしてくれた1995年の週刊少年ジャンプ。あれから29年経った今でも人々に愛され続けているのが本当にすごい。

紙の雑誌の売り上げは減っているんだろうけど、その分ジャンプ+で手軽に読めるようになっているし、今でも紙のジャンプを買い続けている人は何人も周りにいる。

 

と、ここまで書いたところで、鳥山明先生の訃報が飛び込んできてショックを受けている。私たちの世代にとって、Dr.スランプアラレちゃんとドラゴンボールは決して切り離せない作品になっている。

初めてアラレちゃんを読んだ時、幼いながらも表紙絵の美しさに衝撃を受け、おまけ漫画(主に鳥山先生とマシリト氏とのやりとり)がかわいくてマネして描いたりした。私は木緑あかねちゃんが好きだった。

ドラゴンボールだって、いまだに私はジャンプ+で読んでいるのだ。名作は永遠に色褪せない。

 

漫画雑誌が禁止されていた我が家にとって、父があの時ジャンプを数冊拾ってきてくれたことが、自分にとってのその後の少年漫画愛を育てる要素として本当に大きな出来事だったのだった。