ひみつノート

とりとめのないただの日記です。

秋がなくなる 読書を取り戻す

温暖化のせいで四季の中から秋がなくなるということを、ずっと聞いてはいたけれど私は全然理解出来ていなかった。夏が暑く長くなったとしても、やがて冬はやってくるのだし、そうしたら自然と秋もくるじゃないかと思っていた。

なので今年の、まさに今10月中旬のこの時期の秋のなさに驚いている。先日急に寒くなって毛布を出した日があった。その前日まで、私は暑くてクーラーをつけて暮らしていたのだ。外に出ると朝晩は涼しいと感じていたけれど、日中は暑くてずっと半袖で過ごしていたし、部屋の中にいるとどうにも蒸し暑く気持ちが悪くて、ずっとエアコンを稼働させていた。だから驚いた。夏の日の次の日に突然冬になってしまったような感覚だった。それで思ったのだ。これが、秋がなくなるということなのか?

 

だとしてもびっくりするくらい毎日寒い。暖房をつけたいけれど、そうすると夏から秋にかけてずっとエアコンを稼働させてしまうことになる。8月の電気代が高くてげんなりしたところなのだ。しばらくエアコンは使いたくないのでもう一発暖かい日が来ないかと心待ちにしている。

 

今日は午前中で用を済ませて、お昼に図書館に行った。

本というものを一番読んでいたのは10代の時だった。お金のかからない娯楽は本を読むぐらいしかないと思っていたので私は暇さえあれば本を読んでいて、意図せず学年で一番本を読む人として図書室だよりに載ってしまったこともあった。

けれど働き始めると、純粋に忙しくて本を読む時間がなくなったということもあるけれど、読んでも文章が頭に入ってこなくなってしまった。頭に入らないので何回も同じところを読んでしまうし、昨日読んだはずの部分を全く覚えていなかったりして、次第に本を読むことがストレスになるようになってしまった。

 

昨年、ちょうどコロナのタイミングで私は体調を崩し、コロナも相まって全く外に出られなくなってしまった。そんな私の状態を聞いて、友人が「この機会に本読みなよ!」と数冊おすすめのものを送ってくれた。私は読むスピードも全然早くないし、油断するとマンガを読んでしまうので読み終わるのに時間はかかったけれど、貸してもらった本はちゃんと読んだ。

そうこうしているうちに私の体調も良くなってきて、少しずつ仕事も再開し始めることができている。もう一日中寝たきりのような日はなくなったが、友人の好意で、おすすめ本を送ってくれる習慣は今も続いている。

 

この流れで自分の中に読書を取り戻したくて図書館に行っている。たくさん読めるわけではないので一度に一冊しか借りられないのだけれど、本が身近だった頃を思い出すことが出来てきている。

高校生の時の私は色々なものに興味を持てるアンテナが今の何倍もあったので、本屋さんで気になった本を片っ端から学校の図書室にリクエストして入れてもらったりしていた。ブームになる前の「世界の中心で愛を叫ぶ」をうちの学校に入れてもらったのは私なのだ。その後あんな社会現象みたいなことになって当時は驚いていた。

本当に悲しいことに、今では本屋さんの小説コーナーに行って心がときめくことなんてほとんどなくなってしまった。それは、作家の方が悪いということでは全くなく、私の感性が鈍ってしまっただけの話である。

あのころのときめきを取り戻したい。と思って今回借りた本は、中村文則の「何もかも憂鬱な夜に」

この中村文則という人の書く本は、読んでいてずっとザワザワするので、こんなにザワザワさせることが出来てすごいなと思っている。