ひみつノート

とりとめのないただの日記です。

痩せていることが正義すぎるこの世

どうも私は誰がどう見ても太ったらしい。

 

太ったというのはこの1年でだ。コロナ禍でマスクをしていても太った太ったと言われるので、そうとう太ったのだろう。顔が丸くなったとかいう話ではなく(マスクで顔見えてないので)、全体的に質量が増えたという話なのだろう。

確かに体重は、この1年くらいで5キロほど増えた。5キロ増えると人の印象は変わるようだ。

5キロ増えたといっても、その5キロ増の状態をずっとキープしているわけではなく、たまに3キロ減ったりする。それで油断しているとまたすぐ3キロ増えるのである。え?あれ?と思っているうちに3キロ増える。何なんだこれは、と思って毎回動揺してしまう。1ヶ月の間で変動しまくるので、実際自分が今何キロなのか分からない。

 

そもそもこの世の中は痩せていることが正義すぎるし、私もずっとそう思って生きてきた。

小さい頃からいっぱい食べても太らない体質だった。私と言えば細い子だと誰もが言うくらいの共通認識だった。細いということはただ当たり前の事実でそれ以上でも以下でもなかったが、この世の中が痩せていることが正義なので、「細いね」と言われるとそれは褒め言葉として捉えてきた。

 

ずっと細い人生を生きてきた私は、20代でブラック企業で働いた。それは私が決めたことだし誰に働かされたわけでもなく、やりたくてやっていたので会社が悪いとは思っていない。でもとにかく忙しくて当時はご飯を食べる暇もなく、3日で2食くらいの食生活を数年送っていた。

すると、当たり前なのだが体重が減る。元々太っていなかったのにどんどん体重が減って怖いくらいだった。

今と比べると15キロぐらい当時の方が軽いので、久しぶりに友達に会ったりすると、第一声が「大丈夫?」だった。その頃の写真を見ると、ぞっとするほど痩せている。手足もだし、頬に縦に線が入っている。これは確かに心配になる痩せ方だなと自分でも思う。みすぼらしい姿。でも不思議なもので、渦中にいる間のことは自分では分からない。

当時は毎日鏡を見ても、自分の姿に違和感を感じなかった。ただ、それは今もなのだ。鏡を見ても、自分ではそんなに太ったとは思わないのだ、困ったことに。

 

でも思う。太ったってそんなに悪いことなのだろうか?

ちょっとふっくらしている方が長生きできると言うじゃないか。痩せすぎは病気になりやすいなんてことも言うじゃないか。実際、従姉妹の祖父母に会うと、「太ったなあ!」と言われるが彼らからしたらそれは褒め言葉なのだ。ふっくら=健康なのだ。けれど、私の頭の中はもう太った=悪というのが刷り込まれているので、祖父母に「太った太った!」とニコニコ連呼されると本当に辛く苦しい。それ以上言わないで!と言いたくなる。

 

どうかこの先、ちょっと太っているくらいが一番美しいと言われる世の中になりますように。昔よりは痩せが全てでなくなったと思うけれど、私が5キロ太ったことがここまで太った太った言われて、しかもちょっと気まずそうに言ってくる(じゃあもう言うなよと思う)人がいるということは、やはりまだまだ痩せが正義なのだろう。

もちろん、ぶよぶよに太るのは良くないということは分かっているので私も生まれて初めて部活以外での筋トレをし始めた。

 

といいつつ、やっぱり水原希子ちゃんの楊枝のように細い二の腕を見ていると、私もああなりたい!と思ってしまう。一番痩せに縛られているのは私なのである。