最近トイレットペーパーのひと巻が長くなったらしい。
全てのトイレットペーパーが長くなったわけではないけれど、長いものが増えているらしい。
我々が普段使っているトイレットペーパーはだいたい50mで、長くなったトイレットペーパーは300mほどあるらしい。自由の女神3体分らしい。
世の中は刻一刻と変化している。
私は、自分でも認めたくなかったのでずっと平気なふりをしていたが、変化への対応が苦手だ。
生きていると急な変化が多すぎる。例えば会社だと、使っている機材やシステム、パソコン類が新しくなって1から覚え直さないといけないなんてことがあると本当に大変だし、上司が変わったり、その他人材の入れ替え等あると慣れるまでが大変だ。
好きなお店が急になくなったり、担当の美容師さんが辞めたり、友人が遠くに引っ越したりするのも寂しくて心が疲れて復活に時間がかかる。無印良品で販売しているノートも、私が好きで愛用していたものは次々販売停止になってしまった。車の税金は値上がり、消費税も上がった。ひとつひとつの変化が、苦しい。
強いものが生き残ったのではなく、変化に対応したものが生き残ったのだ。という風な言葉が進化論を語る時に言われていると聞いたことがある。確かにそれはその通りであり、どこの世界でも変化に対応出来ないものは滅びるのだろう。
以前働いていた所でも刻刻と変わりゆく世の中の傾向への対応力が求められた。変化を受け入れ自分のやり方を柔軟に変えていくことはとても大事だが苦しいことで、それを嘆く声も周りにはあった。
私は何も文句を言わず平気さを装っていたし、自分でも、対応出来ていると思い込んでいた。
だからずっと気付かなかったのだ。私は変化への対応がとても苦手だ。その、苦手という気持ちをずっと押し殺していた。
苦手だろうがなんだろうが、消費税が上がったら上がった分だけ払わなければいけないし、好きなお店がなくなったら別のお店に行かなくてはいけない。苦手だろうがなんだろうが対応しなくてはいけないのだ。
けれど、苦手なのに平気なふりをしていると、自分の中の苦手だという感情をほったらかしにしていることになる。そういうのが積もり積もって、精神が疲労する。その疲労を無視すると、体調を崩したりする。
苦手なら苦手と認めて受け入れたうえで、ここからどうするかを考えた方が絶対に良いのだ。
それはイコール、自分の弱さと向き合うことを意味している。
私はずっと弱いことは悪だと思っていたし、自分は強いと思っていた。実際、そこまで弱くはないしがんばるべき時はずっとがんばってきた。けれどそれは、自分の中の弱い部分を許さないということでもあったのだ。
弱い部分は、あって当たり前なのだ。何も悪いことではない。私はずっと、周りにいい格好がしたかった。強くて明るくありたかった。そのためには、弱い部分はあってはいけないと思っていた。
そういう生き方をしているとどこかで歪みがでてしまう。弱い部分をきちんと認識して見て見ぬふりをせず、それと一緒に今後どうしていくかを考えて生きることが大切なんだなと、やっと最近分かってきた。
だから変化に対応することも、私は変化に対応できるし。じゃなくて、苦手だなあ、苦しいなあと思う自分とともに寄り添って乗り越えていきたい。
そんな私も、冒頭のトイレットペーパーの長さが長くなる、くらいなら苦しまずに対応できるので、そういう変化なら歓迎していきたい。