ひみつノート

とりとめのないただの日記です。

夏にコロナじゃないけどコロナみたいな風邪を引いた話

8月に、新型コロナウイルス第7波が猛威をふるって毎日過去最高の感染者が出ていた頃の話。
その頃東京はピークを少しすぎた高止まり状態になっていて、田舎は何でも流行りが少し遅いので私が住んでいるところはその時がピークだった。
病気の流行りが都会より田舎のほうが遅いのが、ルーズソックスとかの流行りと流れが同じなのが本当にすごいと思っていた。ファッションも病気も同じ流れで都会から田舎へと広まってゆくのだ。


8月某日、朝起きると明らかに喉が痛くなっていた。
今回の第7波は、最初「クーラーで喉をやられたかな?くらいの違和感から始まる」という情報を得ていたのでまさかとは思ったが、私は喉が弱くてしょっちゅうクーラーにやられているので、今回もそうだろうと思っていた。
なのにその日の夜、寝ようと思っても全く眠れず、何か変だ、何かおかしいと思って夜中の2時半に熱を測ったらその時点で37.5度だった。ああそうか、とうとう私も発熱してしまった。と、慌てるというよりは穏やかに受け止め、夜が明けたら病院に行かなければと思い、そのまま寝ようとした。けれども一向に眠れない。毎回不思議に思うんだけれども、私は熱が上がっている最中って眠れない。みんなそうなんだろうか。


あっという間に熱は38.9度まで上がってしまった。真夏なのに寒くて、長袖を着ているのにガタガタ震えて、これはパンサー向井さんがラジオで言っていたのと同じだと思いながら毛布を被って震えていた。
ものすごく苦しいわけでもなく、寒気と浮遊感に包まれていると夜が明けていき、少し眠れるようになってきた。少し寝て、起きたら汗だくで、着替えて、寝て、起きて、着替えて、を繰り返していると朝になった。


とにかく、PCR検査をしてもらえるところに行かなければと思い、市の相談窓口に電話をして家から一番近い病院を教えてもらった。これは、本当に元気な時に探しておくべきだったと思った。電話が繋がったから良かったものの、一番体調が悪い時に行く病院が見つからないというのはなかなかキツい。
フラフラだったけれども、コロナだったらと思うと誰かに頼んで送ってもらうことも出来ず、なんとか車を運転して病院に行った。人に移してはいけない感染症って本当にやっかいなのだと思った。
病院も当然だが厳戒態勢なので、車から下ろしてもらえず車内でPCR検査のための唾液をとった。熱があるせいかこの唾液がなかなか出ず、何十分もかかってしまった。けれどもそれ以上に待たされて、車からも出られないので車内でずっとぐったりしていた。
私も大変だったけれども、医療従事者の方はもっと大変だ。ずっと病院の中と外を行ったりきたりして、自分達も移る恐れがある感染症の患者と接し続けないといけない。
大丈夫だろうと自分を過信して、感染が拡大している時に軽はずみに遊びに行くようなことは控えないといけないなと、医療従事者の方が働く姿を見てしみじみ考えていた。


そして病院に到着して1時間半程経ち、お会計をしてもらって家に帰った。結果は明日電話でお知らせしますとのこと。なので、この時点ではまだ自分がコロナかコロナじゃないか分からないのだ。
そもそも、今回自分がコロナだったとして、どこでもらったかは全く心当たりがないのだった。今流行している型の特徴を調べてみると、発症までが平均2.5日で、長くても5日だとのこと。遡っても、スーパーで日常の買い物をしたか、家族と会ったかしかしておらず、離れて暮らす家族は私以外全員元気なのだった。
そう考えると自分がコロナだという可能性は低い。けれども、この時私が住む市の感染者数は爆発的に増えていたので絶対違うとも言いきれない。
もし自分がコロナで、この数日間の間に会った家族に移してしまっていたらと、それだけがただただ心配だった。


ただ結果が出ないうちは考えても仕方がないので、風邪の人らしく寝込むことにした。
夕方、近所に住む恋人が差し入れを持って来てくれてありがたかった。今は別々に住んでいるので隔離が出来るけど、もうすぐ一緒に暮らし始めるので、そうなったらどちらかがコロナになったらもう終わりなのだろう。
相手が体調が悪くなったら看病したいのに、それも、し辛い状況に陥らされてしまう。本当にコロナ憎しだ!と思った。
熱はだんだん下がってきていたけれども、食欲がなくてこの日はあまり何も食べられなかった。


翌日、午前中に連絡すると言ってくれたPCRの結果を待つものの、なかなか掛かって来ずやきもきした。おそらく陽性の人の方が急いで連絡してあげないといけないので、なかなか掛かってこないということは陰性なんだろうと自分を励まして電話を待った。
電話が鳴ったのは11時すぎ頃で、「マイナスですよ」と報告を受ける。良かったと思ってホッとすると同時に電話を切られそうになり、ちょっと待ってと慌てて引き止めた。
コロナが流行る前、人は風邪をひいたら病院に行って、何かしら診察をしてもらっていたはずだ。なのに、今病院はコロナかコロナじゃないかを判断するだけの機関になってしまっているのか?と思い、「まだ喉も痛いし熱もあるんですが、耳鼻科とかに行けばいいということですか?」と聞いてみた。
すると、「そうですね、でも熱があると診てもらえないかもしれないので、陰性だったと報告していただいて・・・」という返答。
なんだか病院のあり方がすごく変わってしまっている気がする・・・。2類を5類にしたら正常に戻るのだろうか・・・。と考えながら、その日は大人しく休んだ。


次の日、まだ微熱があったし喉も痛く咳が出ていたので耳鼻科に行く。PCRは陰性だったものの、まだ熱があるので順番が来るまで車で待っていて欲しいと言われ、車で待った。
いざ診察となり、症状を伝えると「その症状の人は普通コロナだけどね」と言われる。
時期が時期なので仕方ないんだけど、本当に世の中はコロナかコロナじゃないかでしかなくなってしまったのか!?と、憤慨しそうになる。私はずっと喉が痛かったけれども、扁桃腺もべつに腫れてないと言われ、溶連菌の検査も陰性で、結局気管の風邪と言われて薬をもらって病院を出た。


こんな感じなら、いっそコロナだったほうが良かったのか?と思った。いやいやそんなはずはない、こんな風に思ってしまうことこそおかしいはずだ。
もっとほとぼりが冷めれば、病院のあり方もコロナ以前に戻るのだろうか。


今回熱と喉の痛みの他に悩まされたのが、背中が痛いということだった。背中全体の皮膚がヒリヒリと火傷したように痛くて、仰向けで寝られないほどだった。
私はいつも熱を出すと軽い知覚過敏というか、皮膚がピリピリ痛い状態にはなってきた。しかしそれは熱の出始めに少し起こるだけのもので、こんなに何日も痛いということはなかった。
あまりに痛いので、カロナール、ロキソプロフェンと、痛み止めを試しに飲んでみた。最初は効くような気がするものの、結局根本的解決にはならず、痛みに苦しむ日が続いた。
ロキソニン系の鎮痛剤が効かないので、以前もらっていた神経痛の薬を飲んでみたところ、背中の痛みはスーっと治っていってしまったのだった。


そんな風に、熱が上がったり下がったり、体の痛みが出たり治まったり、吐くぐらいの咳をしたりしながら今回の体調不良は治っていった。
昔は、風邪を引いても仕事に行っていたし、熱があっても37度台なら多少無理して動いていた。けれど世界が変わって、風邪でも風邪じゃなくても一定まで熱が下がらないと外に出られなくなった。
それはそれで良い部分も多いけれども、今回のように病院できちんと診察してもらえないというネックもある。


我々は新しい時代に対応出来ているのだろうか?


元気な時はつい油断して備えをしないけれども、次に体調が悪くなった時に慌てない準備はしておかないといけない。